グノーシス主義は爬虫類の冷血性と結びつきやすい

グノーシス主義は爬虫類的な冷血性と結びつきやすい。 : We are all own definition
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「この世界ってマトリックスだよね~」
っと言う会話は、映画「マトリックス」が公開されてから
多くの人々に言われ続けて、すっかりポピュラーになった。

私自身もユダヤの金融システムと結びつけて語り続けていたひとりだ。

しかし、そうはいっても実際の処この世界が物質でもエネルギーなく、
「データーだ」と、どれだけの人が見抜いているのだろうか?

この宇宙空間自体も、その本質がデーターである様に、
私たちの日常の社会の原動力となっている「お金」の世界もそうだ。

「紙幣」とか「硬貨」とか「貴金属」そのものに通貨の本質があるのでは無く、
通貨の本質とは信用というバックボーンに裏打ちされたデーターに過ぎない。
だから、
「お金とは有限な物体、モノなのだ」という金属主義に陥らず、
なおかつ需要と供給とのバランスを失わない限りにおいて、
自国建ての通貨発行は
人々に欠乏、困窮を味合あわせる必要なく、
理論的には社会に無限の発展の可能性をもたらすことが出来る。

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地面から掘り起こす鉱物資源や、
自然や生命から搾取しなければ
価値とは生じさせることが出来ないモノ???

そんな唯物論的貨幣発想に、まだまだ多くの人達が囚われている

この呪縛から脱皮できるか?否か?
 今、私たちひとりひとりの理解に、この地球の文明の命運が掛かっている。

このパラダイム・シフトに初めて着手したのはグノーシス主義だと言える。
「神が7日間で万物を作った・・・」
もし聖書の通りなのだとしたら、
神とは
映画「マトリックス・リローデット」で登場した
アーキテクトのような存在であり、
〝彼〟は、私たちをホログラムの夢の中に閉じ込めている支配者だ。

するとグノーシス主義が
 「旧来の神への挑戦=悪魔崇拝」
 「アカシック・レコードの書き換え」を
目論見はじめた動機も見えてくる。

「この世界とは空っぽのホログラムだ!」と見抜いたのならば、
そこに本質的に「殺人」というのも
その悲劇、痛み、悲しみ、というのも
「幻想だ」と言えなくは、ない。

すると
イルミナティーの「破壊」
悪魔崇拝者達の「支配」「搾取」の意図も察することが出来る。

しかしそこには「愛」や「慈悲」がまったく入り込む隙間も無い世界だ。

私たちは冷血な、爬虫類の様な発想の人々に支配されつつ、
でもその一方で、「自分は愛している」と思い込んでいる。
・・・それが最大の錯覚であり、最大の悲劇でも
「この世界は空っぽだ、マトリックスだ!」
と宣言するだけでは大きく片手オチなのだ。

般若心経で言われている様に
「〝空〟なだけではなく、それは同時に〝色〟でもある」
っというところで、世界は色彩を取り戻す。

私たちは、何かを好み、誰かを求めるところで、
その関係性を「愛だ」と思っているのだが、

 しかし、
 --エゴとは関係性に他ならない--
By OSHO「秘教の心理学」より

愛とは「在り方」の問題であって、
「何か」や「誰か」というのはその「愛の放射」の対象に過ぎない。
その放射の対象とはすべて「空」であり、しかし同時に「色」でもある。

少なくとも
「空」という一面だけでは「絶対零度の冷たさ」しか現れないが
「空」のもうひとつの面、「色」を見た時、
そこには「暖かさ」「豊かさ」が発見できる。

「空」の面こそが瞑想であり、「色」の面こそが愛なのだ。

この両面が揃った時、
はじめてレプタリアンの冷血な世界観からの出口が見えてくるはずだ。

「空と色」「瞑想と愛」という
一見正反対に見えるものは「いまここ」において融合する。

「いまここ」において、
相手がホログラムなのか?幻なのか?とか
「空に過ぎない」とかといったことは無関係なのだ。

相手が人であれ、動物で、あるいは昆虫や植物、無機物であれ、

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愛情深い人は、何に対しても愛情深く接する。

その、いまここの凝視とは「自閉症的」にもみえるだろうが、
そこにこそ神聖な狂気(正気)が宿っているのだろう。

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