伊勢白山道さんより…生まれ出るだけでも超難関の偉大な奇跡のプレゼント、死んだ後に理解できる

生まれ出るだけでも超難関で偉大な奇跡のプレゼントであることが、死のトンネルをくぐった魂には真から良く分かり、その生まれ出た奇跡の上では、どんな人生の悩みも「大した問題では無かった」ことが真から自分で分かります。
人間は裸で生まれ出て、そして「全てを置いて」裸でたった一人で死んで行きます。
コノ世の「捨て去る物事」のために、あれほど死ぬほど悩んでいた自分に後悔します。
今朝出した生ゴミのために、一日中も悩んでいたことと同じだったのです。
それよりも、今日の人生に感謝することがもっと大切なのです。

しかし、私たちが「死んでから」今生の貴重さを認識した時はもう遅いのです。
一休さん、良寛さんという覚者は、「生きている間に」既に生死の境界を心境で渡ることが出来ていましたので、生きている間に「死にとうない」とわざわざ発言を残しています。
これは自我の執着からの「死にとうない」では無くて、アノ世の視点からコノ世への賛歌と御礼の「死にとうない」だったのです。

「どんな悩みも、時間と共に必ず過ぎ去って行きます」
・・・・・これは、別の意味では重要なキーワードです。
時間の流れとはコノ世にしか無いのです。そして、「時間の流れ」がコノ世には在る御蔭により、どんな悩みも絶対に「固定しない」のです。必ず変化します。

ところが、アノ世では、時間という概念が消え去るために、コノ世から持ち込んだ自我の執着は永遠にリピート再生を繰り返すことに成ります。これが嫌な自我の場合は、ほんとうに逃げ場の無い地獄と成ります。これを抜け出すには、コノ世に再び生まれる挑戦が必要なのです。皆さんは今度こそと、これを繰り返しています。
コノ世だけが、「必ず変わって行く」という大きな絶対的な「救い」が用意されています。

釈尊は、これを「諸行無常」(しょうぎょうむじょう:コノ世の一切は常に必ず変化すること)と言い、コノ世の儚(はかな)さではあるが、物事に執着さえしなければ「絶対変化」=救い、だとされました。
今のどんな悩みも、自分で努力さえすれば必ず変化して行きますから、これを逆に楽しみにしましょう。
物事に執着せずに、悩みに絶望せずに、コノ世の期間限定のプレゼントである人生を思いっ切り楽しみましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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