長崎原爆資料館、官僚と医師の狂気、治療するためではなく、米国がより威力のある原爆製造のため、長崎民を検体に差し出した.

悲観主義と楽天主義の境目で

昨日の正午から、全国各地で全国戦没者追悼式が開かれ、参加した人々が黙祷を捧げました。

しかし、そうした人々のほとんとが戦争体験を持っていません。
神妙な面持ちで「恒久平和」への誓いを捧げる政治家たちも同じです。彼らのポーカーフェイスには虚しさを感じるばかりです。

いったい、ヒロシマ、ナガサキで、本当は何が起こったのか、歴史の生き証人たちは次々とこの世を去り、髪を長くしてギターを背中に背負いながら街を闊歩していた“戦争を知らない子供たち”でさえ、その年齢に達しています。

日本の無条件降伏から72年が経った今、反戦集会は、リアルな世界からSNSに、その場を移しています。

ピーター・ドラッガーの本に、『すでに起こった未来―変化を読む眼』という本があります。
「未来に起こる出来事は、先行してそのひな形ができている。経営者は、それに備えるべきだ」という本です。

経済に心理学を応用するのは? と思ったら、やはりユダヤ系の人でした。

ドラッガーは、集合的無意識に中に、人々の思いのエネルギーが集積すると、一定の未来を形づくると言っているのです。

これを日本では、昔から「言い当てる」と言ったりします。

あるいは、「取りこし苦労」といって、必要以上にネガティブな思考を持つと、逆に不幸を引き寄せてしまうから、楽天的に生きる方が人生にプラスになる、という暗示を含んでいる言葉として使われてきました。

未来の戦争を欲している為政者たちは、経済の失敗を他国のせいにして、国民の集合的無意識の中に仮想敵への憎悪を抱かせます。

仮想敵に対して無益な挑発を続けることによって、国民の生命と財産を脅かしながら、戦争に向けて一致団結を呼びかけるのです。まさしく、悪魔的所業と言うほかはありません。

これには、ドラッガーの「すでに起こった未来」の原理が使われているのです。

レーガノミクスがそうであったように、アベノミクスも同じです。世界中が「失敗だった」と確信したとき、行きつく先は「戦争」です。

トランプは、というと、ディープ・ステートに早くも取り込まれつつあります。9月~10月に政府予算が組めないことが確定的となれば、朝鮮半島を空爆するかも知れません。

北朝鮮が大陸間弾道ミサイルを発射しようと、しまいと、そんなことは関係ないのです。ディープ・ステートはいつもそうやってボロボロの経済を延命させさせてきました。

そして、その次は、少しの時間差を持って、シリアを挟んでイランとイスラエルとの間で小競り合いが始まるかも知れません。そのとき、ウクライナのネオ・ナチ(国際銀行家からお給金をもらっている傭兵たち)も勢いを復活させるでしょう。

アベノミクスも、出口なき日銀の異次元の金融緩和の尻拭いのために、米軍に率先して協力したがるでしょう。
逮捕確定の森友・加計学園疑獄から国民の目をそむけさせ、憲法改正に突き進む載一遇のチャンスなのですから・・・。

なんと、売れない在庫一掃セールが終わったのかと思ったら、倉庫の奥からデッド・ストックまで出しての内閣改造。これでも支持率が数%上がったのというのですから、この国の人々の運命は、もう決まったと言っていいでしょう。

「第一四半期のGDPは名目で+4.0%成長」だと言います。日銀の資産がFRBを抜いて500兆円超となったとのこと。その分、円の購買力が希釈されただけであって、実質賃金はますます減ったのです。もはや、ハードランディングの道しか残されていません。

バブル崩壊の時、「私は株取引などやっていないから関係ないね」と、平凡な大勢の人たちが言いました。
その人たちの多くが、リストラによって職を奪われたのです。

彼らは、「取りこし苦労」とは無縁の人々で、楽天的に生きた人々です。
しかし、結果、日頃の思いとは逆の人生を歩むことになったのです。

すると、人々は、「バブル崩壊と言ったって、株の信用取引で首を吊った投資家ほど私は不幸ではない」と、自分を納得させるための口実を必死になって探すようになるのです。

これが「認知的不協和」です。
自分の人生が意図したことと反対になったとき、原因まで遡って、それを修正しようとするのです。
そのため、原因追及がおろそかになって、再び、同じ惨事を繰り返してしまうのです。

楽天的に生きてよいのは、あるリミットまでのことです。

そのリミットを超えてしまうと、これからやってくる災厄を、「すでに起こった未来」として人々は認識します。すると、先取りが得意な一部の人たちは、なんとか自己防衛しようと勉強し出します。

「来るなら来い!」ということです。

ポジティブに生きてきたはずの人たちは、自己肯定の念が強いので、それでも自分の考え方を修正しようとせず、「まだ大丈夫」と思いこもうとします。
結果、そうした人たちこそ、もっとも被害を大きくしてしまうのです。

そう、ドラッガーの言うように、です。
ここまで来てしまうと、「それが顕在化する前に準備せよ」という言葉しか残されていません。

今まで「ネガティブ思考の奴だ」と周囲の人たちに言われてきた用心深い人たちは、一定の限界を超えると、一転して、「ポジティブで慎重な人」と評価が180度変わってしまうのです。

人は、しっかり知ることによって、本当に楽天的、かつ積極的に生きることができるのですが、ほとんどの人は、「現実から目を背ける」ことに熱心になって、毎日を刹那的に生きているように見えます。

その場合でさえ、「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のごとく、「不幸になるのは自分だけでないから、なんとかなるさ」と、これまた根拠なき楽天主義に逃げ込んで自分を安心させようとします。

今の日本人が、やっていることです。そして、過去もそうしてきました。

長崎の被爆者にABCCがやってきたこと

あの戦争で、長崎で本当は何が起こったのかを知ることは非常に重要です。学校では、絶対に教えてくれません。

ネットの情報も頼りない。本も、はてな本が多い中、本当のことが書かれてある一冊を見つけるのは至難の業です。
だから、なんでもそうですが、可能な限り、現地に行ってみることです。

5月下旬には九州にいました。
特に、異国情緒たっぷりの街「長崎」は神秘的であり、特殊な街です。

8、9年前に来たときは、原爆資料館や爆心地、いくつかの天主堂を調べるように、つぶさに回るためでした。しかし、5月の連休だったため、原爆資料館の入り口で駐車場は満車状態。入り口で長い時間、足止めを食らってしまいました。

結局、時間切れとなって、その後は知覧に向けて爆走しなければならなかったので、ほとんど何も観ることができなかったのです。

そこで、今回は、スケジュールをなんとかやりくりして連休をはずし、るるぶ族の猛襲をうまくかわして、じっくり調べることができました。

長崎原爆資料館、原爆公園(爆心地)、平和公園、浦上天主堂にかけては異界です。ここだけは、独特の空気に包まれています。
あれだけ紹介されている割には、平日は、長崎原爆資料館以外は閑散としています。

私が行ったとき、長崎原爆資料館の中は社会見学で関西から来たという中学生で溢れていました。

彼らは、ほとんど無言でガラスケースを順繰りにのぞき込みながら、スケッチをしたり、ノートに書き移したり、デジタルカメラで写真を撮っていました。長崎原爆資料館では、フラッシュを使わなければ館内での写真撮影は禁止されていません。

外国人の姿もチラホラ。
その中でも、赤ちゃんを背負った20歳代の男性と、その奥さんは印象的でした。この夫婦は、日本人以上に熱心に時間をかけながら展示物を見て回っていました。

もちろん、中国人もいました。

展示物は、熱線で原型が分からなくなった鍋・釜、食器。台車、乳母車、熱でひん曲がった鉄道のレールなどなど。被爆した軍人が来ていたボロボロの軍服には血糊が。
ファットマンの実物大の模型は、のっぺりしていて、まるで海坊主のようで不気味です。

そして、熱線で焼かれた子ども、熱で上半身の皮がすべて垂れ下がってしまった男性。瓦礫と見分けがつかないほど焼かれた黒こげの死体、死体、死体の写真の数々。

不思議なことに、ABCCによる残酷な被爆者の線量調査と疫学調査についての展示物や資料は見当たりませんでした。

代わりに、内部被曝について解説しているパネルに、その名前を見つけることができました。
それは、「放射線影響研究所」と、まさしく悪魔の調査団ABCCが名前を変えて生まれ変わった研究機関です。この研究所は、いまだに米国に情報を提供し続けているのです。

敗戦後、官僚とほうぼうから集められた医師たちは、焼けただれた被爆者を一瞥しただけで、「もう助からないのだから、ABCCに連れて行くように」と被爆者本人と家族を説得して回ったのです。最初から、治療する気などなかったのです。

なんと、日本の官僚と医師たちは、米国が、より威力のある核爆弾を製造するためのデータとして、致命的な被爆を負ってしまった長崎の市民を、検体検査のために占領軍の医師団に差し出したのです。

被爆者たちは、ただの一度たりとも治療を受けさせてもらえず、体のあちこちが崩れ落ち、命が朽ち果てていく様子を仔細に観察されながら死んでいったのです。

そうした被爆者たちは、さらに死んだ後も体のあちこちにメスを入れられて解剖されたのです。

遺族のもとに戻されたのは、体のあちこちにメスを入れられた肉親の無残な亡骸でした。
年齢は関係ありません。その中には若い女性も多くいたのです。

官僚と医師・・・彼らは、本質的には狂気の人々です。
これは、現代の日本の医師たちも潜在的に持っている共通した特性であり、異常性です。

彼らの何人かは、自分が社会人として欠陥を持っているのではないかといった妄想に苛まれています。
それは妄想ではなく、「そのとおり」と自覚する必要があります。

私は、“医者の不養生”ではなく、“医者の不感症”と言っておきましょう。

長崎に集められた医師たちは、助からないと分かった日本人を道具として平気で扱ったのです。
それは、ヨーゼフ・メンゲレに勝るとも劣らないほど非人道的で残虐な、あの悪名高い731部隊とつながっているのです。

その同じルーツを持つ医師たちが、福島で再び同じ悪行を働いているのです。人間の残酷さに身震いがします。

彼らは、率先して日本人をそのように扱っているのです。

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